2024年の大河ドラマ「光る君へ」で、吉高由里子さんが演じる、紫式部。
紫式部といえば「源氏物語」が思い浮かぶ人は多いでしょう。
この記事では、
- 紫式部とは何をした人?
- 紫式部の本名はまひろ?由来も調査
- 藤原道長とはどんな関係?
について徹底調査しましたので、ぜひ最後まで読んでください。
紫式部とは何をした人?
紫式部は「源氏物語」などの名作を残す、平安時代中期の物語作者です。
また、歌人としても活躍した女性です。
代表作である「源氏物語」以外にも「紫式部日記」や「紫式部集」などの物語を書いています。
紫式部の誕生は970年や973年と諸説ありますが、没年は今もなお不明とされています。
紫式部の本名はまひろ?由来も調査
「光る君へ」に登場する紫式部は、まひろとも言われていますが、なぜなのか疑問に思う人も少なくないでしょう。
紫式部という名は本名ではなく、当時の人々がつけた呼び名であると言われています。
さらに、紫式部と呼ばれる前は『藤式部(とうのしきぶ)』でした。
「光る君へ」で用いられる『まひろ』は、ドラマ制作統括の内田ゆきさんにより名付けられたそうで、心に燃える何かをもつ個性的な主人公に名付けた名前だと話されています。
ドラマ制作者が本作品に対する熱い思いが込められているのが、伝わりますね。
紫式部と藤原道長は愛人関係なのか
「光る君へ」で柄本佑さんが演じる、のちの最高権力者である藤原道長ですが、紫式部とはどのような関係なのでしょうか。
「光る君へ」の作中では、紫式部と藤原道長は幼馴染だと発表されています。
愛人だったとの噂もありますが、真相はどうなのでしょう。
紫式部は、源氏物語の執筆を行う前に夫を病で亡くしています。
悲しみを紛らわすために書いた源氏物語の評判を聞き、娘の女房兼教育係として紫式部をスカウトしたのが、藤原道長と言われています。
藤原道長は、紫式部が宮中に出仕しはじめた頃、ハンサムかつ堂々とした性格であったことからスター的存在であり、それは紫式部から見ても憧れの存在だったと言えるのではないでしょうか。
愛人と噂されたのは、紫式部が書いた「紫式部日記」に記されていることが理由とされています。
「紫式部日記」には、所々に藤原道長と和歌を交わし合う姿が見られ、平安時代における和歌は、コミュニケーションの道具かつ、求愛の手段であったとも言われているからです。
紫式部と藤原道長はお互いに惹かれ合ったものの、結果的に紫式部は藤原道長と決別し、宮中から姿を消してしまいます。
まとめ
この記事では「紫式部は何をした人で本名はまひろ?藤原道長とは愛人なの?関係を徹底調査!」について解説しました。
吉高由里子さん演じる『紫式部』に期待の声も多い中、柄本佑さんが演じる『藤原道長』にも注目が集まっています。
ぜひ大河ドラマ「光る君へ」を楽しんでください!